伊達家十四世稙宗(伊達政宗の曽祖父)が、晩年の17年間隠居生活をしていたのがこの城で、現在も「稙宗之墓」が建っています。
子、晴宗との骨肉の争い「天文の乱」でまさかの敗戦をした稙宗は、福島県桑折西山城に幽閉されましたが、娘を嫁がせた相馬家により助けだされ、世話を受けてこの城で生活していました。
稙宗が78歳で逝去したころには、晴宗により隠居料として与えられていた伊達領地(丸森・金山(大内)・小斎・島田・新地・駒が峰)のすべてが相馬領となっており、それが原因で天正4年から12年にかけて伊達と相馬の争いが金山・小斎を舞台に何度も繰り返されました。
政宗の初陣は天正9年5月(政宗15歳)、この地の戦いであったといわれています。
丸山城址への行き方を、動画でご紹介します!