齋理幻夜という時の重なり
<後編>
「かいもーーーん!」
午後6時15分ごろ、この掛け声とともに齋理屋敷の大きな門が開く。地元の和太鼓団体「伊具の里 童楽娘鼓(どらむすこ)」の演奏に導かれるように、続々と人々が門をくぐり、屋敷へと足を踏み入れてゆく。緑あふれる屋敷内には約1,000基の絵とうろうが、吊るされ、あるいは芝生の上に設置されている。黄昏時の夕陽の差す中で絵とうろうの明かりはあまりにも優しく、遠目には灯っているのかどうかは分からない。だが、一つひとつの絵とうろうに描かれた手書きの絵を見ようと近付くと、その奥で蝋燭の小さな火がわずかに揺らめいているのが見て取れる。
スイカや花火といった夏らしい絵から、丸森町の風景を写した絵、さらにはその時々で流行したキャラクターの絵など、思い思いの図柄が描かれた絵とうろう。絵とうろうは毎年この日のために大切に保管されており、物によっては何十年も前のものが時を超えて飾られるそうだ。「卒業まで小学校最後の生活を楽しむ」という言葉を描いたいつかの小学生は、今どこで何をしているのだろう。誰かのタイムカプセルを勝手に覗き見したような気持ちになる。
大正時代の木造洋館風の新館前で、地元の伊具高校吹奏楽部によるビッグバンドの演奏に合わせて体を揺らす人々。居宅のお座敷の寄席で東北訛りの落語に笑う人々。9つある蔵の1つは写真館となり、浴衣姿の人々が少し照れた様子でレンズに笑顔を向けている。ビッグバンドの演奏後には自然と「アンコール」の声が響いたが、「すみません! アンコールの曲は用意してませんでした!」と吹奏楽部の部長。温かな笑い声が何よりのアンコールだった。
その後、町内4つの太鼓団体が一堂に会する「まぼろし太鼓」の鼓動を全身で感じていると、遠くのテントに「丸森町生まれのジェラート」の文字を見つけた。隣の「シロップかけ放題」のかき氷に目移りしそうになったが、ここは「丸森の味を」と思い、数ある味の中から最も濃厚そうなピスタチオ味を選ぶ。そばでは高校生のカップルらしき二人が1つのかき氷に2本のスプーンを挿していた。
いよいよ日が暮れると、絵とうろうの明かりが優しく敷地内を照らし始める。石畳の小路を挟みこむように揺れる絵とうろうの明かりによって、道ゆく人の輪郭が淡く縁取られ、どこか異世界に足を踏み入れたような感覚になる。普段、夜の市街地を歩く時とは全く違う、不思議な安心感と高揚感。年配のご夫婦がある1つの絵とうろうの前で記念写真を撮っていて、約1,000基もある中に特別な1基があることが少し羨ましくもあった。
途中、人だかりができているところに近づいてみると、高校生が新聞のようなものを配っている。1部を手に取れば、そこには「幻夜新聞」の文字。聞けば毎年、準備から閉会までの間に取材・執筆・印刷をしてその場で配っているという。わざわざそんなに大変な方法を取らなくても、とも思ったが、その表情には大変さよりも充実感が溢れる。誰かに喜んでもらえることの喜びをきっと感じているのだろう。
まだ混み合う屋敷を後にすべく、齋理屋敷の門を跨ごうとした時、先に門から通りに出て行った浴衣姿の二人の小さな女の子がこう言った。「元の世界に戻った!」。二人が笑い合いながら出て行った先の「元の世界」は、依然として歩行者天国で、露店には先ほどよりもたくさんの人が並んでいる。
「焼きそば、いかがですか!」「……、いかがですか?」
喧騒に響き渡る露天商の言葉に、誰にも聞こえないような声で一人、「来て良かった」と答えてみる。賑わう祭りの明かりを背に駐車場へ向かい、車のエンジンをかけると、熱のこもった車内に冷たい風が吹き出してくる。その風に祭りの熱気まで冷めてしまうようで、エアコンを弱めて窓を開け、生ぬるい夜風に吹かれながら帰ることにした。助手席に置いたお土産用の「丸森コロッケ」はまだ温かかった。
齋理幻夜
江戸後期から昭和初期にかけて七代にわたり栄えた豪商・齋藤理助の屋敷、通称「齋理屋敷」と、屋敷前野通りが一体となり、夏の一夜にだけ開かれる丸森町の夏を代表する祭り。約1,000基の絵とうろうの明かりが屋敷内を幻想的に彩る。 開催時期:毎年8月第1土曜日 場所:蔵の郷土館 齋理屋敷及びその周辺 (〒981-2165 宮城県伊具郡丸森町字町西25)
文
宮城県石巻市を拠点とする出版社・編集プロダクション。石巻と全国各地を行き来しながら、書籍の執筆や編集、ウェブサイトのコンテンツ制作、企業・団体のブランディングなどを行っている。またコミュニケーションも編集の事業領域と捉え、イベント企画やまちづくりにも関わる。
カメラマン
石川県金沢市生まれ、2006年大阪芸術大学卒業。都内スタジオ勤務を経てフォトグラファーに師事後独立し東京をベースに雑誌、カタログ、広告などで活動中。Instagram@teppeihoshida