第一話

齋理幻夜という時の重なり
<前編>

2024.11.25

 年に一度、8月初旬にわずか3時間だけ現われる「幻の夜」があると聞き、傾き始めた日差しを頬に受けながら、丸森町へと車を走らせる。一面に広がる田園風景をしばらく進み、阿武隈川の両岸を結ぶ真っ赤な丸森橋が見えてくれば、目的地である「齋理幻夜」の会場はもうすぐだ。

 丸森町役場の臨時駐車場に車を停めて外に出ると、冷房の効いた車内から一転、盆地特有の暑さが全身を包み込む。会場へと夕陽に向かって歩くその数分、人は多くとも、誰かとすれ違うことはない。浴衣姿の女の子たちも、少し浮かれ気味に見える男の子たちも、子ども連れの親子も皆、同じ方向に向かっているのだ。今や丸森町の夏を代表する祭りとして、町外からも多くの人が足を運ぶそうだが、近所から歩いてきたようなその人々の姿に「地元に愛されている祭りなんだ」と感じ、心の中で「お邪魔します」と呟く。

 会場に近付くにつれて人の数は増え、露店から漂う香ばしい煙が鼻をくすぐる。そして、蝉時雨に重なるように、「フランクフルト、いかがですか!」「焼き鳥、いかがですか!」といった露天商の活気に満ちた声が響き始めた。

 「齋理幻夜」ーー。この丸森町を代表する夏祭りは、今年で34回目を数える。江戸後期から昭和初期にかけて、呉服の販売や味噌・醤油の醸造など幅広い事業を展開し、七代にわたり栄えた豪商・齋藤理助の屋敷、通称「齋理屋敷」を中心に、屋敷前の通りと一体で一夜限りの「幻の夜」を形作るのだ。

 歩道の人影が道路を跨ぐほどに伸びた午後5時半、浴衣や甚平姿の学生や大人たち、さらには狐のお面を頭に着けた子どもなどで、歩行者天国となった通りは気付けば人だかりとなっている。焼きそば、焼き鳥、かき氷、水風船などの露店が並ぶ中、「せっかくなら」と丸森町ならではの物を探してみると、「丸森コロッケ」という幟を見つけた。地元精肉店による露店のようで、「ここでしか」を味わってみたく、7組ほどの列に加わることに。揚げたてが飛ぶように売れていくため、目の前で2分ほど揚がるのを待つ。食べ歩き用とお土産用に2つ。ようやく手に入れた揚げたての「丸森コロッケ」は熱々サクサクで、「ホッ、ホッ」と息を吐きながら食べた。こんな風に熱々のコロッケを歩きながら食べるのなんていつぶりだろう。そんなことを考えていると懐かしい気持ちになった。途中、かき氷をこぼして笑い合う女の子たちがいて、こぼしただけで笑ってしまう、その祭りの雰囲気も無性に懐かしかった。

 その間も通りでは、丸森ばやし保存会による太鼓の演奏などが続く。小さな子どもたちが大人に負けないばち捌きで堂々と演奏を披露すると、見守る人々の手にするうちわや扇子がいつの間にか太鼓のリズムとシンクロし、地元婦人会と丸森小学校の児童による手踊りでは、踊り終わってハイタッチする大きな手と小さな手の重なりに「丸森で暮らせる人は幸せさ〜」という踊りの歌詞の姿を目の当たりにした想いだった。

 大人になるとどうしても、洗練されたものや完成されたものを、お金を払って、設備の整った会場で見ることが当たり前になる。けれど、沿道の輪や温かな眼差しに触れて、ここにはもっと純粋で大切なものが詰まっているように感じた。演目の途中、お父さんに肩車をしてもらっている女の子と目が合った。お金では決して買えない、世界で一番の特等席。この子もいつか演者としてこの輪の中で踊るのかもしれない。そして今のこの子と同じように、その踊りをもっと小さな子どもたちが見るのかもしれない。そう思うと、汗を輝かせて踊る子どもたちの法被に書いてある大きな「祭」の字が、それまで以上に頼もしく見えた。
(後編へ)

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齋理幻夜

江戸後期から昭和初期にかけて七代にわたり栄えた豪商・齋藤理助の屋敷、通称「齋理屋敷」と、屋敷前野通りが一体となり、夏の一夜にだけ開かれる丸森町の夏を代表する祭り。約1,000基の絵とうろうの明かりが屋敷内を幻想的に彩る。 開催時期:毎年8月第1土曜日 場所:蔵の郷土館 齋理屋敷及びその周辺 (〒981-2165 宮城県伊具郡丸森町字町西25)

口笛書店

宮城県石巻市を拠点とする出版社・編集プロダクション。石巻と全国各地を行き来しながら、書籍の執筆や編集、ウェブサイトのコンテンツ制作、企業・団体のブランディングなどを行っている。またコミュニケーションも編集の事業領域と捉え、イベント企画やまちづくりにも関わる。

カメラマン

干田哲平

石川県金沢市生まれ、2006年大阪芸術大学卒業。都内スタジオ勤務を経てフォトグラファーに師事後独立し東京をベースに雑誌、カタログ、広告などで活動中。Instagram@teppeihoshida