

目的のない小さな旅を〜あぶくま荘とそこから少し〜
<前編>
半年以上かけて打ち込んでいた仕事が一区切りつき、事前に申請していた半休を使って、東北新幹線の窓側の席に乗り込む。発車して少しすると、車窓の向こうには、ビルがひしめく景色から一転、住宅街とのどかな田園風景が、幾度かのトンネルを挟みながら広がっていく。
旅行雑誌やサイトに載っているようなコースを巡ってみるのもいい。でも今は、日頃の忙しなさから距離を置くように、目的もなく、ゆっくりとした時間を過ごしたい。そう思って向かったのが宮城県の丸森町。その丸森町は、かつて養蚕業が盛んだった頃に、猫が蚕の天敵であるネズミを退治する存在として崇められていたことから、猫を「猫神様」として祀った「猫碑」が日本一多い場所らしい。「今回の旅行は自由気ままな猫のように気楽に過ごして、なんなら猫にも会えたらラッキーだな」。そんなことを思いながらリクライニングをもう少しだけ傾けた。

JR白石蔵王駅に着き、レンタカーのナビに宿泊先を打ち込んで走り出すと、道は次第に山道に。途中、「本当にこの道で合ってる?」と心配にもなったが、無事「丸森町」という看板を通り過ぎ、しばらくして今夜の宿である「あぶくま荘」に辿り着いた。
受付で「チーンッ」と銀色の呼び鈴を鳴らし、名前を告げ、館内の説明をしてもらった後、2階にある部屋へと階段を上がる。部屋は和室にシングルベッドが設置されたほど良い広さで、荷物を置いて「ふぅ」とひと呼吸。窓の外には、川と山々の木々が望むことができ、その美しさに今度は「あぁ」と声が漏れた。

館内には日帰り入浴もできる大浴場があり、風呂上がりだろうか、すっきりした表情の利用者とすれ違う。「夕食後、宿泊者だけの時間になったらゆっくり入ろう」。そう決めて、少し散歩に出かけようと外への自動ドアを抜けた瞬間、風に揺れる木々の音と、遠く耳に届く川のせせらぎが、不思議な安心感とともに全身を包み込んだ。
これまで、人並みに色々な街に暮らした。なんとなく刺激がなくて離れたいと思っていた地元。そうして進学とともに上京して暮らした都会。卒業後、就職に伴って引っ越した今の街。 都会は言うまでもなく「便利」だ。けれど、「安心」と言われるとどうだろう。確かに、長く暮らせばその場所での暮らしに慣れてはいくけれど、それは「安心」とはまた違う気がする。この丸森は初めて来た場所。でも、この場所に流れている時間と空気感には、そんな作りたくても作ることのできない「安心」が詰まっているように感じられる。


そんな穏やかな気持ちとともに、あぶくま荘のすぐ近くにある阿武隈渓谷県立自然公園の一部にもなっている不動尊公園を歩くと、まるで池に浮かぶ船のような「天水舎」という不思議な建物に出会う。宮城県出身の著名な建築家である針生承一氏の設計により1993年に建てられ、周囲の風景との美しい調和を見せるこの建物は、コワーキングスペースとしても活用できる無料休憩所にもなっており、「おっ、『便利』もあるじゃん」などと池から顔を覗かせる鯉たちに心の中でツッコミを入れる。
さらに公園の奥に進んだ先では、西陽を背に荘厳さと神聖さを漂わせる駒場瀧不動尊こと「愛敬院」に辿り着いた。町の指定有形文化財にもなっている仁王門は圧巻で、左右の仁王像の迫力に圧倒されてたじろぎかけた時、そのそばに、あった。そう、猫碑だ。嘉永7(1855)年に建てられたその猫碑に刻まれた猫は今と変わらない可愛らしさで、昔の人と心を通わせたような気持ちすらしてきて思わず頬が緩んだ。

「そろそろ」と、あぶくま荘に戻るとちょうど夕食の時間で、ロッジを思わせるレストランへ。テーブルには宿泊代の手頃さからは想像できないような豪華な食事が用意され、左右には釜飯としゃぶしゃぶが仁王像のごとく鎮座。釜飯が炊き上がったところで蓋を開けたら、玉手箱のようにほわっと蒸気が膨らんで、そのせいか、その後に覚えていることと言えば、あっという間に全てのお皿が空っぽになったことだけだった。


そして夕食後、いよいよ日帰り入浴の時間が終わった大浴場に向かう。「貸切だったら」と期待して浴室に入れば、まさにその通りで、たった一人で広い浴槽に浸かるやいなや、今日までの仕事の疲れが一気に心と体から融け出していくのが分かった。
部屋に戻る前に火照った体のまま、もう少しだけ歩こうかなと外へ出てみる。街灯のあるあぶくま荘の駐車場を抜けて道路に出ると、そこからは一気に街灯もまばらで真っ暗に。そうして仕方なく宿に引き返そうとした時、ふと見上げた夜空の星が、どうしようもなく綺麗だった。
(後編へ)

あぶくま荘
阿武隈急行の丸森駅から車で約10分の山間にある自然に囲まれた宿泊施設。清潔感のある館内には、宿泊者用の大小の部屋のほか、露天風呂やサウナを備えた大浴場、さらにはレストランもあり、地域内外の日帰りの利用者にも広く親しまれている。
WEB:https://abukumaso.com/
場所:〒981‐2116 宮城県伊具郡丸森町字不動50‐5
TEL:0224-72-2105
アクセス:阿武隈急行丸森駅より車で約10分
文章
宮城県石巻市を拠点とする出版社・編集プロダクション。石巻と全国各地を行き来しながら、書籍の執筆や編集、ウェブサイトのコンテンツ制作、企業・団体のブランディングなどを行っている。またコミュニケーションも編集の事業領域と捉え、イベント企画やまちづくりにも関わる。
カメラマン
石川県金沢市生まれ、2006年大阪芸術大学卒業。都内スタジオ勤務を経てフォトグラファーに師事後独立し東京をベースに雑誌、カタログ、広告などで活動中。Instagram@teppeihoshida