第四話

目的のない小さな旅を〜あぶくま荘とそこから少し〜
<後編>

2025.4.28

 翌朝、少しだけ開けておいたカーテンの隙間から差す朝陽で目を覚ます。起き上がってカーテンを開けると、窓の外では前日の夕方とはまた違った朝の柔らかな光と戯れるような一面の自然が広がる。時間はまだ午前6時52分。普段なら「もう少し寝ていたい」と、なかなか布団から出ることができないのに、この日はすっきりとした気持ちで朝の光に誘われるように、朝食会場であるレストランへと向かった。


 普段、出張先のビジネスホテルの場合、「朝ごはんは無しでいいか」と食べずに済ませてしまうことも多い。でも、今日の朝食には、卵焼きやソーセージといった朝らしいおかずに加え、小さな6個の可愛らしいおにぎりが付いてくる。予約した時点から、実はそれが一つの楽しみだった。

 テーブルに着くとすぐに、まるで絵本から飛び出したかのような6つの小さなおにぎりがテーブルに並ぶ。味噌汁やおかずを間に挟みながら、みそおにぎり、明太子、おかか、と順番に頬張っていき、6つ全部食べ終わる頃にはしっかりお腹がいっぱいになっていた。

 朝の楽しみはもう一つある。それが10時のチェックアウトまでに、もう一度大浴場に行くこと。朝の浴室では、窓から差し込む朝陽が湯気に柔らかく反射して、夜とはまた違った雰囲気がある。中でも露天風呂は、真っ暗だった夜からは打って変わって、豊かな自然の中に身を置く開放感が溢れ、風の音や川の音、木々の音が体の中に染み込んでいく。

 「贅沢だあ」。そう口にしてみたけれど、よくよく考えてみると宿は手頃で、露天風呂もこじんまりしていて、立地も便利とは言えない。それでもやっぱり「贅沢だよなあ」と呟いて、何も身に纏わないでいられる一人の時間を満喫する。

 金曜日の午後に到着して、土曜日の午前中には出発する24時間にも満たない1泊2日の旅。チェックアウトして、「何かお土産でも」と近くにあるらしい直売所に車を走らせる。直売所はその地域の暮らしが垣間見えるようで、いつも立ち寄りたくなるお気に入りの場所だ。するとあぶくま荘からすぐのところに、3月から12月の土日のみ営業しているという「不動直売センター」を見つけ、車を止める。

 入り口近くではレジの方と買い物客が親しげに世間話をしており、にこやかに「どうぞ」と招き入れられる。販売しているのは地元農家が育てた野菜や、それを使った惣菜や加工品で、手書きで名前が書かれた「ねばりいも」という長芋のような野菜や、味噌おにぎりのどれもが一つひとつ形が違い、確かに人の営みがそこにあることを教えてくれるようだった。

 そして、さらに車を走らせた先で、地場産品が並ぶ直売所「いきいき交流センター大内」に着き、店内には野菜や惣菜はもちろん、地元の工芸品やなんなら金魚まで販売しており、すでに地元住民と思われる方々で賑わっていた。まだ3月とは言え、ふきのとうも並んでおり、「春ですねえ」としみじみしていたら、まさにふきのとうのPOPには手書きで「春ですね」と書かれていて苦笑する。

 ただ、野菜を買って新幹線に乗るのも難しいなと思い、ここは地域内外で大人気だという地元菓子店が作った「バター最中」を同僚の人数分購入。そして、特産らしい干し柿のうち「耕野の佐藤さんちの干柿」という商品を自分用に選んだ。「耕野」という地名も知らなければ、「佐藤さん」にだって会ったことはないけれど、そこに詰まっている丸森の営みごと持ち帰ることができるような気がしたのだ。

 きっと。宮城県に来るのなら、仙台市に行って、青葉城に立ち寄って、牛タンを食べて…という旅行サイトにあるような定番コースだって間違いなく楽しかったと思う。でも、一つひとつチェックボックスにレ点を入れて回るような旅ではなく、全然知らない、穏やかで静かな場所に身を置いて、自分が感じたままに歩いて、食べて、外に出て暗かったら引き返したりして、そうやって自分や世界と向き合うような旅には、それだからこそ味わえる、むしろそれでしか味わえない良さがある。

そんなことを考えながら、直売所を後にして、JR白石蔵王駅までの帰路を車で走る。来た時は不安になっていたナビの山道も、「知ってるよ、この道で合ってる」と思いながら、安心して駆け抜けて行く。その時に「あっ」と気付いた。そう言えば、猫碑は見たけれど、猫には会えなかったな。でも、今回の目的は、目的もない小さな旅。だから、「猫に会えたら」と思っていたことすらも忘れてしまえていたことが、今の自分には訳もなく嬉しかった。
(終)

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あぶくま荘

阿武隈急行の丸森駅から車で約10分の山間にある自然に囲まれた宿泊施設。清潔感のある館内には、宿泊者用の大小の部屋のほか、露天風呂やサウナを備えた大浴場、さらにはレストランもあり、地域内外の日帰りの利用者にも広く親しまれている。

WEB:https://abukumaso.com/
場所:〒981‐2116 宮城県伊具郡丸森町字不動50‐5
TEL:0224-72-2105
アクセス:阿武隈急行丸森駅より車で約10分

文章

口笛書店

宮城県石巻市を拠点とする出版社・編集プロダクション。石巻と全国各地を行き来しながら、書籍の執筆や編集、ウェブサイトのコンテンツ制作、企業・団体のブランディングなどを行っている。またコミュニケーションも編集の事業領域と捉え、イベント企画やまちづくりにも関わる。

カメラマン

干田哲平

石川県金沢市生まれ、2006年大阪芸術大学卒業。都内スタジオ勤務を経てフォトグラファーに師事後独立し東京をベースに雑誌、カタログ、広告などで活動中。Instagram@teppeihoshida