知っている方には当然な事も、知らない方には謎なもの。
町内の地図を見ていた所、とある場所にお寺のマークがある事に気づきました。
位置的には西円寺さんの南東、こんな場所に地図に載るようなお寺があったかな?
上のマップはその地図のお寺の場所を、自作のマップに記したもの。
そして丸森の住宅地図を見てみると、その場所には「大日如来観音堂」という建物が記されていました。
ならば場所だけでも確かめてみたいと、夕暮れ時でしたが行ってみました。
場所は齋理屋敷の裏手の山になります。
それまで気づかなかった細い道を進んで行きました。
近づいてみますと、確かに大日如来の額がありました。
と、そこへ隣の民家の方が声をかけてくれまして、この場所の事を少し教えていただきました。
お隣の方は郡司さんといい、そのご先祖の方が佐藤鯁臣(さとうこうしん)さんといったそうです。
鯁臣さんは金山出身の方で漢学の先生をされていたとの事。
そして、齋理屋敷の7代目ダンポさんの先生をされていたそうです。
その縁があって、齋理の殿上としたこの場所に大日如来の観音堂を建てる際、土地と共に管理を任されたそうです。
この石碑も、齋理が建てたものだそうです。
齋理はこの佐藤鯁臣先生をとても大事に思っていたらしく、毎日お昼になると女中さんがご飯を屋敷からここまで運んで来たそうです。
ダンポさんにとって、とても恩のある方だったのでしょうね。
しかし、なぜ大日如来の観音堂だったのか?
心当たりのありそうな方に質問してみたところ、おそらくは齋理のダンポさんの生まれ本尊が大日如来であったのではないかと仰っていました。
真偽のほどは定かではありませんが、ひとまず腑に落ちた所で今回のミステリーはここまでとなりますm(__)m
@まと