猫神さまを巡るルートを構築しようと、しばらく前から実施している石碑・猫碑めぐりの研修会。
今回は大内まちづくりセンターのスタッフさんも参加となりまして、大内まちセン周辺ルートとしての実施となりました。
今回も解説いただくのは、丸森の歴史・文化財にお詳しいS先生(大内在住)です。
大内まちセンを出発し、国道113号を突っ切って新光食堂さんの横の道を進みますと、程なく清水橋に差し掛かります。
ここにある伝承として、伊達政宗御朱印状に、天正14年(1586年)に清水三左衛門という人に「金山の内 一竹の内千苅並畠壹貫五百地・・・・」とあり、伊達政宗からお給料をもらった記述があるそうです。
清水橋の由来は詳しくはわからないのですが、何か関係があるのではないかと考えられています。
その道をさらに進むと竹ノ内地区になります。
竹ノ内の地名の起こりは、タケ・岳・崖の内側という意味ではないかと考えられています。
このあたりは河岸段丘になっており、崖のようになっていることからその内側の地域をタケの内と呼んだのではないか?とS先生は仰っていました。
道路の右手は昨年の東日本台風で路肩が崩されてしまっています。
田んぼの方は作付けできるように協力して復旧にあたったそうで、今はじっくりと生育中。
しばらく進むと崖の内側に入る「鍛冶坂」が現れます。
昔、農具などの製作・修理などのために鍛冶職人が定期的に村を訪れており、この坂の横にある梅津さん宅がその鍛冶作業の場所になっていたそうで、この坂を「鍛冶坂」と呼んたそうです。
この坂、崖の内側に入るだけあってかなりの急こう配・・・、冬の凍結時はご注意ください。
坂を上りきったT字路に、「丸森町の猫碑めぐり」では「岩城西石碑群」として紹介されている石碑群があります。
こちらには猫神さまは2基ありまして、他にも蛇神さま、一代塔などもあります。
蔵王山の石碑もあり、昔は仙南のあたりでは蔵王に登ってお参りすることでようやく一人前と認められた風習があったそうです。
こちらには猫神さまは2基、蛇神さまや馬頭観音の石碑などが並んでいます。
梅雨なので、しっとりした猫神さま。
ここには「下瀧大明神」という石碑があり、ご本尊は阿武隈ライン舟下り事業所の西の小山にあるそうです。
ご神体は蛇、養蚕の神さまとして祀られていたそうで、蚕を育てるような人たちがお参りして幣束をもらっていたそうです。
さらにこの下瀧大明神は、遠く岩手県の旧東磐井郡あたりにも分霊されていたそうです。
そこから田んぼのあぜ道を進んでいき、大内山村広場近くの六角という地域に来ました。
ここの石碑群には町内で3基しかない鶴供養碑があります。
この石碑は「靏」、雨冠に鶴という異体字で書かれており、文化三年(1806年)の建立で、3基の中では最も古いものとなります。
その他にもいろいろとお話を聞かせてもらいましたが、それは今後のツアー実施のためにネタの蔵にしまっておこうと思います。
今回はここまで!
@まと